2012年12月5日水曜日

労組の既得権益、雇用問題

どこかのブログで、「解雇規制があるから日本の雇用流動性が低くなり、給与の高い高齢者が会社に残る。そのため、企業はコストミニマイズするために新卒の採用を抑える。結果、若年層の就職率が下がるのだ。その既存労働者を守っているのが労働組合だから、現在の失業率の高さや非正規雇用の増加、格差拡大の一因は労組にある」という主張を読んだ。

なるほど。もっともらしいけど、これは事実関係を取り違えているか、物事の一面しか見ていない勝手な思い込みに基づいているようだ。

そもそも、労組が組合員を守って何が悪いのか?
労組の由来が、労働者が一致団結して自分たちの労働条件の維持・向上を図るために作ったものである以上、労組が組合員を守るのは彼らの役割として極めてまっとうなこと。
もし労組が彼らの役割を踏み出して(?)、若者の雇用を確保しろ!とか企業における人の新陳代謝を活発にしろとか言い出したら、上記主張をしている人たちはきっと「労組の役割を忘れている」というに違いない。

自分が労組寄りの思考になっていることは否定しない。
それでも上記主張をする人たちっていうのは物事の一面しか見ていないわけで、労組や産別組合がなければ自らの雇用が危ぶまれている人たちっていうのは非常に多い。

労組があるから新陳代謝が損なわれているかもわからない中で、労組が既存の労働者を守ることをやめてしまったら、それこそ失業者の枠は拡大することは明らかではないか。

ある事象を解決するために、規制を撤廃する(数を減らす)ことが解決になるわけではないとゼミの先生(行政法専門)に教わったときは目から鱗だった。
結果を出すために、規制の数が増えることだってあるのだ。

とはいえ、若年層の雇用を確保する必要がないとか、企業の新陳代謝を活発にする必要がないとか、日本は今のままでいいと思っているわけでは決してない。

現状を打破するために、もっと本質を見なきゃいかんだろ、ということ。

そういえば、似たような事例がちょっと前の日経の記事にもあったような。
何の記事かは忘れてしまったけど、要点は「事実かも知れないけど、真実じゃないよね、それ」ってこと。

2012年11月25日日曜日

最乗寺の紅葉

この3連休、大雄山最乗寺まで紅葉を撮りに行ってきた。
神奈川の人にはメジャーな紅葉スポットらしいが、神奈川以外の関東圏の人にとってはおそらくマイナー。
幸か不幸か、この日は雨。先週も雨だったから、今年はどうにもついていない、と思いきや、雨と紅葉の組み合わせは意外といける。



2012年11月21日水曜日

羽田で飛行機

10月後半から11月前半の週末はほぼ毎週羽田へ飛行機を撮りに行っていた。
そんなに飛行機ファンではないのだけど、お目当てはJALのB787。
新しい物好きだからか、ANAに導入されたこの機体を見たときからそのクールさにほれぼれして、JAL派な自分としては何とかJALカラーの787を見て写真に撮りたいと思っていた。

最近羽田線にも導入されたのでふと思い立って行ってきた。
時刻表を見間違えたり、スポットに駐機しているのは見たもののテイクオフは国内線第二ターミナル側だったりとなかなかその離陸する勇姿を見られなかったんだけど、何度か通ううちにコツがわかってきてようやく収めることができた。



この翼のそり具合がたまらない。
そして真っ白な機体が最高にクール。
写真的には機体にぴったりピントが合っていて、背景がいい感じにぼけてくれているので機体が浮かび上がるような写りが個人的にとてもツボ。

こういうのが撮れると写真はやめられないんだよなぁ。

そういえばテイクオフを待っているときに、知らない二人組に「何枚ぐらい撮るんですか?」と聞かれて「気の済むまで」と何気なく答えた。
我ながらなかなかの答え。
デジタルになってから、その辺に撮りに行く分には枚数はほとんど気にしなくてよくなったよな。

2012年11月10日土曜日

代官山界隈

昨日はとあるながりから開催した写真教室だった。
いろいろな写真を撮って、それをプロのカメラマンに見てもらって講評をもらうというもの。
今回が第2回。自分にとって、他の人の作品を観るというのはとても勉強になるのでこういう企画は大好き。

今回は幹事役だったので、撮るというよりは全体とのマネジメントに気持ちがいっていたのであまりたくさんは撮らなかった。


前回も今回も思ったのは、写真はやはりセンス。
被写体を選ぶセンス。
それを枠内に収めるセンス。

たとえそれがコンデジだったとしても、センスのいい人の写真は素直に「うまい」と思う。

その機種が、一眼であればピントの合いとか被写界深度とかでもっともっとよくなるのだろうけど。

機材の善し悪しが出るのは被写体次第かとも思う。
街撮りや人物スナップなんかには高級機材は不要で、被写体選びと構図がものをいう。
でも一方で、自然風景だとそれなりの機材が求められるんだろうな。

いくら何でもコンデジで星景写真は撮れない。
最近はコンデジらしくないコンデジがあるから侮れないけど。

いずれにせよ、写真は奥が深いよなということ。
だから飽きない。飽きないというか、飽き足りまたはまったりというサイクルが自分にとって心地よいのだ。

2012年11月7日水曜日

Wall Street を観て

なんだろう、このわくわく感は。
決して否定的には見ない、見れない。

仕事なんて所詮ゲーム。
どれだけ全力を注げて、どれだけわくわくできるか。
いい意味でのプレッシャーをひしひしと感じる。
そんな仕事をしたかった。
自分のアウトプットに対する莫大な評価。
そういうのを経験したかった。
今更は無理だろうな。次生まれ変わるのなら、そういうタフな人生がいい。

そうやって稼いだ莫大なお金を、自分の好きなものに使いたい。
決して目先の、自分だけのものじゃなくて、この世の中を変えるようなことに。

2012年11月2日金曜日

新しいPC

自宅のPC(デスクトップ)の挙動がだんだん怪しくなってきたので、この際新調することにした。

前からずっと気になっていた、HDDをネットワーク化するというのもついでに実行。

新調したPCはVAIO Z。
2012年の夏モデルで、オーナーメイド。
PMDつけるのかつけないのか、シートバッテリーを買うのかどうするのかといろいろ悩んだけど、結局両方ともオミット。
部屋の中でも完全にワイヤレスかつモバイルな構成にした。
今のところ後悔していない。

HDDのネットワーク化は、一瞬完全な自己満足か?と思ったものの、改めて考えるとVAIOの構成と相まってかなり賢い選択だったと思っている。
というのも、このVAIO、すべてSSDしか搭載しておらず、HDDモデルがない。つまり、容量が基本的に小さい。
もう少し正確に言うと、「大容量にしたければお金を払え」。
最大の512GBにしようとすると、いくらキャンペーンといっても+35,000円。
さすがにこれは日和った。
なので、旧マシンのHDDもそろそろバックアップしなきゃというタイミングでもあったので、VAIOを自宅で使う場合のストレージもかねてネットワーク化したというわけ。

外に出るときにはSkyDriveかSDカードを使うので。

ネットの評価では、キーボードが押しにくい(ストロークが浅い)というネガティヴコメントが目立ったけど、まぁたしかにそうだな。
でもこれは慣れかと。

2012年6月9日土曜日

地方自治体の長

区長選の投票だん。
記憶している限り投票権公使率100%維持。

現職・共産・無所属の3人だけどほとんど政策変わらなくて、誰に投票するか意外に迷った。
ある意味言いたい放題な感が否めない。

例えば脱原発なんてのが争点になりうるのかと。エネルギーミックスは国策じゃないのか。
原発由来の電気は使わないと言っても日本の電力使用量が変わらなければ誰かが多く原発由来の電気を使うことになるわけで。 

原発由来の電気使いたくなきゃ自前で発電するしかないでしょ。

それって 道義的にどうなんだと思ってしまう。
外国に侵略されたら断固として立ち向かうべきだけど、自分の子どもが戦争に行くのは反対です、みたいな。
そんなに深く考えたらいかんのかもしれないけど。

2012年5月16日水曜日

関電他4社の節電について

節電、7月2日~9月7日 政府最終案が判明  :日本経済新聞:

日経の記事によると関電他4社を中心とした節電対策の最終案が決まったそうな。
内容はリンク先をみてもらうとして、個人的には違和感がぬぐえない。
違和感っていうか「おいおい、またかよ」的な呆れ感というか。

節電は目の前の課題としては確かに大きなものだけど、なんで節電しなきゃいけなくなっているのか?という大きな目的が忘れ去られている。

電力の需要に対して供給が足りないのが現状で、その原因は原発の稼働。
ここで解決しなければいけないのは原発を稼働させるかどうかの判断で、節電するかどうかは原発の再稼働の判断後でなければならないんじゃないか。

その判断をしないでいて、何とか節電でしのごうとしている。
で、帝国陸軍じゃないけど末端とか現場の努力でおそらくこの夏の電力不足も乗り切ってしまうんだろう。
そうすると「何だ、原発なくてもいいじゃん」という安直な結論が導き出される、と。

原発の問題は、稼働するかどうかだけじゃなくて、今後日本のエネルギー政策をどうするかというここと密接な関係があるはずなのに、この結果ではそこが抜け落ちてしまう。

で、10年とか20年とか、ひょっとしたらもっと近い未来にエネルギー安全保障政策の抜け漏れが露呈して、その時にはもう手遅れ!というのが容易に想像できる。

結局60~70年前から本質的なダメさっていうのは変わってないんだということを痛感させられる。

2012年4月23日月曜日

娼婦風スパゲッティ

と書くとなんとも誤解を招きかねないタイトルだけど、れっきとしたスパゲッティである。
忙しい娼婦があり合わせの材料で作ったら案外に美味しかったというのがその由来だとか。
材料は至ってシンプル、というかイタリアの家庭だったらどこにもありそうなものばかり。
にんにく、オリーブ、ケッパー、アンチョビ、トマトソース。
アーリオ・オーリオぐらいシンプル。
あまりお店では見ないけど、ジョジョ好きなら絶対知っているという一品。
そして今回はトマトソースから作った。
名古屋にいたときに通っていた料理教室で教わったトマトソースが驚くぐらい簡単に作れるのにおいしいのと、こういうパスタに合わせるトマトソースは出来合いのものをなるべく使いたくなかったこともあり、今回は手作りした。
作り方は、にんにくをゆーーーっくり炒めて香りを出す。
そこに玉ねぎのみじん切りを加え、これもまたゆっくり炒める。
そして5〜10分ぐらい炒めたらトマトの缶詰を加えてひと煮立ち。
このトマトの缶詰は、細長い酸味の少ないものを使う。必ず。丸い奴は酸味が強すぎるので。
トマトソースを加えたときに塩とローリエを加える。
10分弱、弱火で煮たら完成。
たったこんだけだけど、絶対においしい。
お試しあれ。

2012年4月15日日曜日

土鍋でご飯!

突如として土鍋で炊いたご飯を食べたくなり、半ば衝動買いのようにご飯用の土鍋を買ってしまった。
早速土鍋でご飯を炊いてみた。
いろいろ検討したところ、一般的には土鍋でご飯を炊くには米の状態によって火加減を変えなければならないらしい。
うーむ、これは面倒だ。炊飯器ならボタン1つのところを、いかにおいしいご飯を食べたいといえど毎回毎回火加減を見ているのは無理だ。
そう考えているところへ、無印の土鍋なら火加減の調節は要らないらしい。

という事で、早速購入し使ってみた。
土鍋でご飯を炊くの図。
炊いてます。中身を見たいところだけど、炊飯中はたとえ赤ちゃんが泣いたとしても蓋をとってはいかんのです。

しかし火加減の調節が要らないと言っても、浸す20分→炊飯15分→蒸らし20分はちと長いよな。

ようやく蒸らしまで終わって蓋を開けてみると、、、
いい具合に炊けてます。
しかもおこげ付き。

味の方も文句なし。
大して上等なお米ではなかったけど、大満足。

2012年4月14日土曜日

「日本人」というカテゴライズその2

おとといは第2回の勉強会。
気になったトピックスとしては、日本人における同族集団と中国人における同族集団の違い。

中国人における同族集団というと華僑。
血縁というよりは地縁のつながりでコミュニティを形成する。
それは生活を支えあうという事だけでなく、ビジネスを円滑にすすめることにも大きく寄与していると聞く。
それに対して日本人はというと、せいぜい同じ都道府県出身者の集まり(○○県人会)で、たまにあって飲んだり、場合によっては仕事を斡旋しあったりするだろうけど、地域的なコミュニティを作るというところまではいかない。

なんでこんな違いが出るんだろうと考えた時、1つのドライバーとして「言葉」があるんじゃないかと。
中国って地域が違うと言葉が全く通じないっていうぐらい言語が多様。同じ漢民族と言いながらも、北京出身者と福建省出身者と広東省出身者とではコミュニケーションできないぐらい違う。
今でこそ普通語ができてるけど、今でもわからない人はいるし、いわんや昔をや。

そんな中で、海外に出て行ったら同じ中国人といえど言葉がわからなかったら外国人も等しい。
だからこそお互いに言っていることのわかる地域的なつながりができたっていうのは納得できる。

それに対して日本人は少なくとも日本国内にいる限り言葉がわからないってことはない。
鹿児島のような特殊事例を除けば。
だからあまり地域で強固に結びつく必要性は高くなかった。
同郷であれば共通の話題が持てるとか、それぐらいのニーズしかなかったんだろう。

海外に出ていったとしても、「日本人」というくくりでまとまってしまえばよかったので、そこには血縁とか地縁の概念はあまり出てこない。

明治時代に軍隊を作るときにやはり訛りが強すぎたから統率取るために軍隊用語を作ったっていう話も聞く。
この場合は必要最低限の用語だけなんだろう。

言葉はコミュニケーションのツールでしかないけど、たかがツールされどツール。

「日本人」というカテゴライズ

今月頭からある勉強会に参加している。
テーマは日本人。
いくつかの本を読みながら日本人とは何かについて考え、ディスカッションしていくというモノ。
ゼミみたいな感じ。

日本人というと「勤勉」というイメージがついてくるが、これがそもそもいかんのじゃないかと。
何を以っていかんとするかを考えたら、そのテーマ設定を新たにしないといけなくなりそうだけど、ここではひとまずこの閉塞感のある(と僕は思っている)、数十年後を安心して生きられなさそうなこの今の日本、という事で考えてみる。

「勤勉」という言葉からは「コツコツと真面目に勉強する」というイメージが連想される。勉強に限らず、どっちかというと受身な印象。指示されたことを真面目に遂行していく。
そういうのが日本人であり、小さい時からこうありなさいと教えられてきたと思う。

でも、今・これから必要なのはアウトプットだ。インプットではなく。
結局みんなが考えていること、思っていることを口に出したり行動に移したりしないことには何もわからないし、何も変わらない。
真面目にお勉強しているだけじゃダメなんだ。

日本人の「勤勉さ」は世界に誇っていいと思う。でもそれだけじゃいかん。勤勉でありつつ、アウトプットもしていく。

そんなことを考えた第1回の勉強会。

2012年4月9日月曜日

これは秀逸?

たまたま見つけた「経済思想入門」
ややこしい・難しいものはこういった軽いところから入るのが肝だと思う。
いきなり専門書を読んでも読み手にそれを受け入れたり理解したりするだけの土壌がないから根付かないで嫌になってしまうのがオチ。
ただ、入門的なものを見て少しずつ自分の中の土壌を厚くしていきながら専門的なものへシフトしていくことが肝要。


第2ラウンド


という訳で、知見のある方、この動画の正しさはいかほど?

2012年4月8日日曜日

桜撮り

世間のご多分に漏れず、土日は桜を撮影。
ちょうど愛機のファームウェアがアップデートされ、レスポンスが驚くほど改善されて使いたくてうずうずしてたし。
2日間で行ったのは、
・六本木ヒルズ毛利庭園
・桜坂
・皇居東御苑
・千鳥ヶ淵
・靖国神社
といったところ。
土曜日は風が猛烈に強かったこともあり、被写体ブレ続発という憂き目をみた。


パスタ2種類

土曜・日曜と練習を兼ねてパスタを作ってみた。
今回作ったのは2つ。
1つは相変わらずのペペロンチーノ。もう1つは新作のナスとベーコンのトマトソース。
どっちも上出来。

備忘的にポイントを。
○ペペロンチーノ
・茹で時間9分のスパゲティは7分でお湯からあげてソースと混ぜる。
・にんにくは弱火でじっくり。
・にんにくを炒めるのはそれなりに時間がかかるから、パスタを茹で始めてから2分ぐらいで作り始める。
・塩は少し多いかな、ぐらいが丁度良いっぽい。

○ナスとベーコンのトマトソース
・ソースを作るのに時間がかかるのでパスタを茹で始めるより先にソースを作り始める。
・にんにくを炒めるのはオリーブオイルににんにくの香りをつけるためらしいが、半かけほどだったらみじん切りにして炒めて混ぜても良さげ。
・オリーブオイルは大さじ2
・ベーコンに塩味が付いているので、塩は入れすぎないように注意。
・トマトソースはトマトソース。トマト缶を開けただけのものではない。なのでトマトペーストを投入して丁度いい感じ。
















ナスと〜は初めて作ったけどかなり上出来。

2012年4月4日水曜日

映画:スーパーチューズデー

「スーパーチューズデー」を観た。
総じて面白いか面白くないかといわれるとなかなか微妙ではあるが、興味をそそられた点はいくつかある。
 
・音(呼吸音)も含めた駆け引きの場面での心理描写
→スティーブンがマイクをどこかのキッチンで(心理的に)揺さぶっているシーン。
役者の演技力もあってのことなんだろうけど、お互いの焦りと余裕が入れ替わる様子がすごく伝わってきた。
 
・それ以外にも表現されている心象風景
→モリーが殺されて、スティーブンが車に戻ってきた時にフロントガラス越しに写ったスティーブンの表情。泣きそうでいて泣いていないギリギリの表情をしつつも、雨がフロントガラスを伝っている映像と合わさってスティーブンが泣いているかのような見せ方。
 
・セリフに出てこない、人物の感情表現
→例えばモリーが産婦人科で待っている時のいらだちと不安がない混ぜになった表現とか仕草。
スティーブンが首になったことを聞いた時のモリーの表情。涙が出てきていたけど、これはきっとスティーブンに対する同情と、自分の身に迫るかもしれない危機を察知しての動揺だろう。

あと、一番印象強く残ったのは、ここまで全力を注ぎこむようなことをしたい、仕事をしたいということ。
今の仕事は正直ぬるい。そういう状態に甘んじている自分もぬるい。
もっと追い詰めて、脳に負荷をかけてアウトプットを出して、取り組まないと。
今の仕事ではそこまでの負荷をかける対象がないと思ってしまうけど、実際にはもっとできることがあるのにそれを見つけていないのか、考えようとしていないのかはわからないけど、今の状態ではダメだということはよくわかる。

仕事は与えられるものではなく自ら作るもの。
 
ちょっと前のエントリで、モチベーションは何だろう?という内容で書いたけど、答えや理由が見えた気がする。

2012年4月3日火曜日

思いを表現するということ

最近縁あってクラシックをよく聴くようになった。
CDでもそうだし、コンサートに足を運ぶようになった。

そうして色々聴いているうちに、グッと来る演奏や曲がどんなものかわかってきたように思う。
それは作曲家なり演奏家なりの「気持ち」「思い」が曲や演奏を通して表現され、僕に伝わってくるもの。

単にテクニックを表現しているものや音符をなぞっているものはどうも響いてこない。

例えば信仰心や救われたい、誰かを幸せにしたい、悲しみ(哀しみ)、慈しみがあふれ出て来ているような曲や演奏が好き。

逆に言えば、そういった気持ちや思いが込められていない曲なり演奏なりは聴く意味がない。

最近自分が変わったな、と思うのはこういう人の持つプリミティブなものにシンパシーを感じること。
以前だったら、もっと無機的なもののほうが気楽で好きだったんだけど、最近はともすれば重いと感じるものに惹かれる。

感情的なのはやはり嫌いだけど、人の気持ちや感情に向き合うことが嫌でなくなってきている。
それは一つには今の仕事が、一人一人の気持ちを汲んでいくことに関連しているからだろうし、一つには彼女ができてその距離感や気持ちの差についてかなり考えるようになったし、その裏返しとして自分の気持や感情について冷静に正面から向き合うようになったからだと思う。

そういうようないきさつがあって、人間って悪くない、芸術っていいかもって思えるようになってきたここ数ヶ月。

2012年4月2日月曜日

働くモチベーション

当社の社員はほんとうによく働くと思う。
年代や人によって働いているのか働かされているのかはかなり異なってくるかもしれないが、「仕事をしている」という点では相当だと思う。

そう考えると出てくる疑問が2つ。
1つはそのモチベーションはどこから来るのか、もう1つはアウトプットはいかほど、である。

1つめのモチベーションに関しては管理職か非管理職かによって変わると思う。
少なくとも僕自身についていえば変わる。
つまり、残業代が出るか出ないか。

いわゆるマネジャーになるまでは月報制なので定時以降に「在社」した時間に見合って残業代が支払われる。
しかし、年俸制になると残業代は出なくなる。

管理職の在社状況を見てみると、残業代が出ていた頃と変わらないか、むしろ長くなっている人が多いように思う。
そう考えると、彼らがここまで仕事に打ち込むのはなぜだろうという疑問が浮かんでくる。

仕事が面白いから?
それはあるだろう。

管理職になると仕事に対する裁量がぐぐっと広くなる。
これまで対話してきた組合員の話や自分の経験を踏まえれば、裁量が広い仕事ほど面白さを感じる度合いが強くなる。

そう考えればここまで長い在社時間も、仕事にのめり込むあまりという理由付けができるかもしれない。

でもみんながみんな面白さを感じながら仕事をしているわけでもなかろうから、やはり働かされている人もいるのだろうと思う。

そうすると2つめのアウトプットってどうなってるの?という疑問につながる。

本人の気持ちとアウトプットの量と質はほぼ関係がない。
確かに面白いと思える仕事は質の高いアウトプットやたくさんのアウトプットが期待できるかもしれないが、はっきりとした相関関係は説明できないのではと思っている。

当社の仕事はアウトプットが定量化しにくいといわれる。
営業であれば明確なノルマがあるわけではないし、予算の未達に対しての明確なペナルティも聞かない。
知らないところで本人やその上司の評価が、「会社」から下げられているのかもしれないが、それは本人が意識できる仕組みになっていない。

そんなことを考えていたら、アウトプットを出す積極的な目的や意識がないまま、これだけ長時間働く管理職はある種の思考停止、マヒに陥っているのではと改めて気づき、気を引き締めた次第。

今日から僕も資格区分的に(賃金体系的に)残業代が出なくなるので、今まで以上に時間当たりのアウトプットを意識するようになった。

昨日作ったもの

前にも書いたけど、料理の上手い/下手はその再現性にある。
ということで、また同じものを作ってみた。

悩ましいのが、同じものを作ると確かに腕は上がっているのがわかる一方で、やはり分量や手順が安定しないので味にばらつきが出ること。
ばらついてもおいしければいいのだけど、まだその域には達していない。

昨日作ったのは「アーリオ・オーリオ」と「キャベツと豚肉のスープ」。
写真はアーリオ・オーリオ

今回は我ながら上手にできたかと。
ポイントは、
・スパゲティを茹でる時に入れる塩は多め
・ニンニクを炒めるときは気持ち多めのオリーブオイルで弱火でじっくり。
・スパゲティと絡めるときも塩加減を忘れずに

塩味しかつかないので、多くても少なくてもイマイチになる。
かつ、塩は入れすぎたら戻せないので、薄く重ねるように塩味を足していくイメージ。

パサパサだとおいしく感じられないので、ニンニクを炒めるときはオリーブオイルを多めにすること。
でないと思った以上に足りなくなる。

2012年3月29日木曜日

これからの労組って

ハンズオン型とでも言うような、会社に対して具体的なプランを提示していくような存在でないと。
・環境の変化
・組合組織の弱体化→強化

昔のように、変化も緩くて会社の体力もあって、社内の人材も余裕があった時代には組合から会社へ漠然と「改善を要求する!」とでも言っておけば済んだのかもしれないが、今はもうそんな時代じゃない。

組合の存在意義が「雇用を守る」から「社員がより活き活きと働ける」というものへシフトしていっているのであるから、会社に対する姿勢も変わるべき。
会社に対して、向こう3年間の設備の持ち方はこうあるべき、投資計画はこうあるべき、仕事の進め方はこうあるべきというような具体的なプランを提示していく。

完璧でなくても。

それは組合としての体力強化にもなるし、組合としての責任感の自覚にもなるし、存在感の誇示にもなるし、 改善に向かうための確実な一歩になる。叩き台ですな。

そうでもしないと組合員が白けちゃう。

会社からしてみれば丸投げ感は否めないわけで。
いろんな仕事が山積している中で、どこまで労力を避けるのかといったら怪しい。
会社は会社のロジックやしがらみの中でしか物事を考えられない。

労組っていうのはある意味会社とは切り離された存在・団体なわけで、そんな立場を利用しないといつまで経っても旧態依然のまま。
代わり映えしない制度が、変わってんのか変わってないのかわからないまま残る。
それは実にもったいない。

外圧としての労組の存在は大きいし、重要だと思う。

そう考えると、労組の役割はまだまだあるし、積極的に果たしていかないといけないと思うわけ。

2012年3月28日水曜日

昨日作ったもの

ここ最近極力自炊している。
去年の8月に引っ越しをしてからずっと相変わらず外食ばかりだったのだが、実際始めてみると案外続くもので、上手ではないなりにちゃんと食べられる味だということと、そこまで手間がかからないからかもしれない。手間のかからないものを選んでいるというほうが正確か。
で、昨日作ったのはこれ。
意図してかしてないのかわからないけど、野菜を食べる量が前に比べて増えた。

右上が青梗菜と豚肉、左下がキャベツと豚肉。
豚肉うまいよ。

料理の写真を撮るのは難しいよな。
作ったものも、出されたものも。

思うに料理の上手/下手は2つの要素がある。
1つはレシピ通りに作ること、もう1つはそのクオリティを再現すること。特に2つめが難しい。

自分に関して言えば、何となく曖昧な記憶に頼りながら、それとなく近い分量で調味料や材料を入れてしまう傾向にある。

ということから、改善の余地としては①分量をきっちり覚えるまで繰り返し同じものを作る②毎回レシピを見ながら作る
これにつきるかな、と。